田口権一の現在!元PL学園出身の天才と桑田選手の関係と本田技研!

田口権一はこんな人!

田口権一は、高校時代は桑田真澄と同期の元PL学園野球部のピッチャーです。

彼の栄光と挫折の影には、彼とPL学園の同級生で後にプロ野球で大活躍をした桑田真澄選手との間のエピソードがあります。

1983年夏の甲子園大会の大阪府大会決勝の先発は1年生の田口投手でした。その当時PL学園のエースは桑田投手ではなく同じ一年生の田口選手でした。

田口投手は1年生の時から145キロの剛速球を投げていたと言われています。

その為、同級生の桑田選手は田口選手の影に隠れて野手として登録されていました。

ところが、その決勝線の立ち上がりに二つのフォアボールを与えてワン・アウト一塁二塁のピンチを迎えます。そのピンチで次の打者にピッチャーライナーを打たれ、その打球を直接ヒジに受けて怪我をして退場を余儀なくされました。

その結果、いきなりピンチに登板することになった桑田投手ですが見事にピンチを抑えきって結局、PL学園は大阪府大会で優勝して甲子園に出場しました。

その後、怪我をしてからの田口権一さんは怪我のダメージが消えずに、かっての輝きを失ったそうです。

田口権一さんにとっては、まさに「あの一球がなければ…」だったのです。

田口権一のプロフィール

出 生 名 田口権一(たぐち けんいち)
生年月日 1967年
(※本人の希望によりプロフィールの詳細は、公開されていません。)

田口権一の現在はというと?

それでも社会人として仕事をしながら、一時は社会人野球からプロ野球選手になる事を目指していましたが、相次ぐ怪我に悩まされ結局30歳で、社会人野球を引退しました。

テレビ番組で、桑田投手の因縁について放送された時、番組の取材がありましたが、現在は社会人として責任のある立場にあることから、テレビでの取材は辞退されました。

たった1球の打球で選手生命に関わる負傷をした結果、後の名投手の桑田投手が生まれ、大きなハンデを背負う事になった田口さん。その後の運命を決めた1球だったのです。

田口権一さんこそが、文字通り悲運の天才投手と言えるでしょう。

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